発心の道場
4月20日  初日 12km
1番霊山寺〜5番地蔵寺 
泊 溝渕さんの善根宿 


 西日本JRバス、大阪のJR難波を朝7時15分に出発して、もう1時間後には鳴門大橋、定刻9時30分には徳島駅到着。
  3日後に、この都会を遍路装束で歩いて、この街の真ん中でお接待いただくとは、夢にも考えませんでした。
 徳島より30分ほどで板東駅ちょっと緊張してくる。
 降りたのは、私を含め3人、うち、1人は、電車の中で白衣を着けていたいかにも慣れた感じの女性のお遍路さんでした。お遍路さんを見た最初です。
 いよいよ、来てしまったなあ、という感じ。
 第1番霊山寺への参道はさぞにぎやかだろう、と大阪の石切さんなんかを想像していたが、見事にはずれて、駅前一番への参道へ向かう道は人っ子一人なし。
 以前は、人で賑わっていたのであろう、映画館だったのかしら”KIRAKUZA”が、目に飛び込んできた。
 写真では、手前が霊山寺方向です。
 一番霊山寺、境内に一歩踏み入れると、さすが!お遍路さんで賑わっている。
 さっそく、本堂にある売店で、白衣、輪袈裟、金剛杖、菅笠など、お店でアドバイスしていただいて購入。
 ぎこちない遍路装束で、見よう見まねで納経する。
その後、なれていない重いリュックを背負い、ぎこちなく2番をめざす。
 多くのお遍路さんがいたので、遍路装束も、自然に着られた。
 お接待所が設けられていて、甘夏2個と5円をいただく。
 初めての、お接待です。
 咲いて散るのが草木の花で
    散って咲くのが人の花。

遍路道沿のお墓に、こんな碑があった。

俺の場合は・・・う〜ん、と考えながら歩きました。
 2番を出発してすぐ、こんな感じのいい遍路道で、歩くのが楽しくなりました。
 柿ノ木の若葉が、目にしみる緑でむかえてくれる。元気がでてくる。

 
 遍路道、先を行かれるのは、夫婦連れのお遍路さんか?
 
 慣れない重いリュックで、歩くのが遅くなる。あっというまに、見えなくなる。

 ”テントでの野宿”を基本にしたので、バックパックは厳選を重ねたけど、約17キロになった。
 だけど、これで、宿をかついで?歩いているという安心感はいいものだ。
 3番金泉寺、納経のあと、ベンチでゆっくり休憩。

 一緒にベンチに座っておられたベテラン遍路のおじさんに声をかけられ、貴重な経験を楽しく聞かせていただく。
 お名前は、自称さすらい遍路 稲田山頭火(いねださあどうか)さんでした。
 そういえば、稲田じゃなかった、種田山頭火の句が浮かんだ。
  軽くなろう 軽くなろう
  重いものはみんな捨てて
  軽くなろう
  何一つ身につけず

何一つ捨てられず、重いままで歩いている自分を見つめる。

 この道が、無数のお遍路さんが通った遍路道か?と思わせるような、すばらしい小道がつづきます。
 4番大日寺、山の中の閑静なたたずまい。
 
 ゆっくり休憩をとりたかったが、今日の泊まりは地蔵寺を打ってから、とかんがえていたので先を急ぐ。
 
 途中、東屋があり、自転車遍路さんと出会う。
 野宿に最適やなあ、と思いつつ、地蔵寺5時の納経に時間がないので急ぐ。
 
 あの自転車遍路さんと、お話したかったなあと、ちょっと残念だった。
 第5番地蔵寺に着いたのは、5時ぎりぎり。
 けっこう街のなかにある。この分だとテントを張れるような場所はなかなかないなあ、と考えながら納経所へ行く。
 
 そこで、「よかったら近所に善根宿あるよ」と教えていただく。ああ、よかった。
 ここまで、今日一日いろいろお接待を受けた。霊山寺での甘夏。通りすがりのお店でバナナ、そして、ここ、溝渕さんちの善根宿。

仏教では無財七施というのがあります
  @房舎施(善根宿相部屋)
  Aショウ座施(いい場所他  人に譲る)
  B身施
  C和顔施
  D言施
  E眼施
  F心施

四国では、この無財七施が息づいているのです。
 事務所を改造した、至れり尽くせりの部屋。
 
 写真の好きな溝渕さんの作品が飾ってある。定期的に入れ替えるそうである。
 
 ぐっすり熟睡さしていただき、早朝、溝渕さんにあいさつして気分爽快で出発。

 大きな甘夏3個お接待いただく。
4月21日(2日目)  24km
6番安楽寺〜10番切播寺
泊 鴨居町 善根宿


 道中は、山吹、つつじ、すみれ、あやめ・・・・いろんな花が出迎えてくれる。
 
 春は、まさに”花遍路”
 いきいきうきうきしてくる。
 第6番安楽寺。かえでの新緑がまぶしかった。

 朝の明るい日差しのなか遍路は、本当に爽快。足が軽やか、どこまでも歩いていけそうだ。
 登校の小学生が「おはよう!」とあいさつしてくれる。

 自転車で通勤の娘さんが、笑顔で会釈してくれる。

 最高のお接待、和顔施だ
 気分よく歩いていると、第7番十楽寺が目の前。

 ここも、竜宮城の門構え。 

 朝、パン一つだったので、お腹がグーグー。コンビにはおろか、なかなかお店が見つからない。

 パン2つぐらいは常にリュックに入れておく必要あり、と教訓。
 第8番熊谷寺の仁王さんは、彩色あざやかな若者で。

 山門を通らずに境内に入ったので、逆になるけど、納経の後山門まで行く。
 
 500Mぐらいはあったか、昔の寺の規模の大きさが想像された。
 第9番法輪寺への道中は、のどかな田舎みち。ちょうど田植えシーズンで、もう3週間ほどもすると、緑一色になっているだろうな、と思いながら歩く。
 四国へきたら、うどん屋さんはどこにでもあると思っていたがそんなにあるものではないことがわかった。
 遍路はじめてのうどんで昼食。お勧めの山菜うどんは絶品。

 お接待で可愛いポチ袋いただく。これがまた、道中でけっこう役に立った。
 第10番切播寺から、あした挑戦する焼山寺方面を望む。

山門から本堂へと続く333段の石段。軽く考えていたが、これがけっこうしんどい、辛かった・・・。明日の遍路ころがし、心配になる。

 観光バスの遍路さんの納経が重なって、20分ほどまたされる。
 ちょっとイライラしていると、後ろの遍路さんが「これも修行ですな!」と声をかけられ、あ、そうや!と思ったとたん、イライラも消えていた。


 吉野川には2本の潜水橋がかかっていて、さすが本流の方は迫力があった。
 堤防をあがったところにお遍路休憩所をつくってくれている。
 野宿するにはいいなあ、と思ったが、今日は待望の鴨島で温泉に入れると思い、先を急いだ。
 1人のお遍路さんが、橋を渡っている。この橋は、やはり、お遍路が良くにあう。
 藤井寺には、時間的に間に合わなかったので、待望の鴨島温泉に直行。
 ガ、ガ、ガ〜ン!本日定休日。このときのショックは大きかった。
 仕方ない、テントでも張らしてもらおうか、と敷地を物色しようとしたら、手招きしてくれるおじいちゃん。深見さん。町で設置している善根宿に案内していただいた。
 「お遍路さんの無料宿泊所一覧表」をいただいた。
 溝渕さんの善根宿にもはってあったもので、深見さんてどんな方だろう、と。まさか、会えるだろうとは!
 今夜は、またまた、最上級の野宿ができた。感謝、感謝、合掌。
 野宿でつらいのは、風呂になかなか入れないことと、洗濯かできないことです。
 食べ物のほうは、はじめからあきらめているので、そんなに苦にはならない。
 けっこう、缶ビールなんかも手に入るし。
 ここには、洗濯機どころか、乾燥機も設置されていて、いたれりつくせり。有難く使用させていただく。
 これも、地元の方の接待、街ぐるみの接待である。
 鴨島町、ありがとうございます。
 カメラの電池も充電できたし、2日間の疲れもさっぱりとれた。
 明日の、焼山寺にそなえ、ぐっすり寝る。

4月22日(3日目) 18km
11番藤井寺〜12番焼山寺
泊 鍋岩へんろ駅で野宿

 朝一番、藤がきれいな藤井寺を打って、いよいよ遍路ころがし・焼山寺へ。
 並み足で6時間、とあるので、自分は多分並足だろうと思い、今日のテント宿営は、神山温泉、と決め、軽やかに出発。
 
 この道は、お大師さんをはじめ、無数のお遍路さんが困難をきわめ走破した、その道だと思うと、一歩づつに歴史の重みを感じる。
 「がんばってください」と激励してくれる案内に、ひとり、「がんばるで・・・」と声をあげてこたえる。
 元気なのは、このへんだけでした。
歴史の重みを感じて歩いていたのも、1時間ほどで、しだいに背中のリュックの重みが感じるようになった。
 
 私は、登山もハイキングもあまりしないので、17キロものバックパックで長期間歩くのは初めて。 
 一日のハイキングで練習はしたものの、まだ、自身はなかった。
 まさに、この遍路ころがしが、野宿でこの先いけるかどうかを占う正念場となるだろう。
 途中へばって休憩してると、続々とお遍路さんが集まる、
 北海道から3千数百キロ、野宿で歩いてる青年、
 1万数千円の所持で途中アルバイトして通し打ちするという青年、
 定年退職で、頭を坊主にして気合を入れ通し打ちするというおじさん。
 こんな皆さんとお話しすると、本当に嬉しくなってくる。皆さんともっとゆっくり、お話したいなあと思うが、先を急がなければならない。
 「そうや、そうや!一歩ずつ前進や。俺の人生とおんなじや」とこたえながら、青年やおじさんに励まされ、あえぎあえぎ一歩づつ前進。
柳水庵で一休み、昼食を食べる。
 昨日昼食を準備するのを忘れたので、非常用の菓子パン2個と柳水庵の水のみ。
 最高においしかった。
 聞けば、”ここで半分!”らしい。
 もう6時間で焼山寺走破
は絶望。私の足は、並足でなく鈍足と自覚させられた。
 
 このすばらしい遍路小屋は、まだ新しく、柳水庵で設置された通夜堂でしょうか。
 歩き遍路へのなんとやさしいお接待でしょう。心がほのぼのとし、何か嬉しくなってきます。
 柳水庵から下って、人里に着く。
 何か、人間のぬくもりがする暖かい風景でした。
 この後、地獄の登りが待っていようとは、知る由もありませんでした。
 や、や、やっと、転がされずに焼山寺到着。
 4時を過ぎていた。
 1Lぐらい水をのみ、おいしいと聞いていたおうどんを食べようとしたが、時間切れ閉店。がっくり。
 雰囲気は最高の山寺。じっくりとしていたかったが、一歩でもお風呂がある神山温泉へ近づきたかったので、早々に出発する。
 先の青年はここで野宿、というので別れ、定年おじさんといっしょに山を下りる。
 鍋岩まで下りてきて、鍋岩荘に宿泊のおじさんと別れる。
 一路神山温泉へ、と思ったが、腹ペコで頼みの食堂も閉店。
 おへんろ駅隣の商店で、ビールとカップ焼きそばを手に入れると、もう歩く気力なくなる。 今夜は、このおへんろ駅で野宿。
 駅には、先客がいて、75歳の老人と転職中の青年。
 老人は、寝る前、妻に携帯「今日は宿に泊まっているで??」と、「こう言うとかな心配しよるから」と、なにしろパワフルなベテラン遍路じいちゃん。またまた、パワーをもらった。
 朝、目を覚ましたときには、もう、2人とも出発していた。
 この駅は、観光バスの駐車場らしい。
4月23日(4日目) 20km
納経なし
泊 テント 
  大日寺手前の鮎喰川河原
 
 
 13番大日寺へは、2つのコースがある。昨日のおじいちゃんは、左のコースを推薦してくれたが、 どうしても、風呂に入りたかったので、神山温泉経由のコースを選ぶ。
 神山温泉の道の駅。9時到着。しかし、温泉は10時からでないと入れない。
 
 久しぶりの風呂、あしたあさっての分も入っておかなくてはと、入りすぎて湯あたりぎみ。
 
 歩き始めは、足が棒のようで重たかった。
 
 やはり、風呂は、一日の終わりで入るのが最高と、長湯を反省。
道中、花が迎えてくれる。

 ウォークマンを聞きながら、何も考えず歩いていて、ふと、横の畑を見ると、おばあちゃんが畑仕事の手を休め、私に合掌してくれるではありませんか。
 会釈を返しましたが、私にとって強烈なインパクトでした。
 
 戦争好きで、年金の改悪など、弱いもんいじめの政治が変わるように、祈りの旅にしようと、密かに心にきめる。
 神山温泉で時間をとられ、途中の食堂で忘れ物をしてひきかえすなど、ドジをする。
 
 結局13番大日寺へは納経時間に間に合わず、野宿場所を捜す。
 
 大日寺手前の鮎喰川の潜水橋のかかる川を渡ったところに、屋根も水もある、最高の場所が見つかった。
 
 今回初めてのテント泊。
 途中で買った、鮎寿司とビールで久しぶり豪華な夕飯。
 ぐっすり眠れた。
4月24日(5日目) 21km
13番大日寺〜17番井戸寺
泊 テント
   徳島新町温泉近く公園 

 第14番常楽寺。
 
 正面の本堂前から岩が流れ出しているようだ。
 
 なんとも、印象に残る寺である。
 
 「流水岩の庭」と言われているようだ。
 常楽寺から約10分で、15番国分寺。 
 
 昔は、寺域が2キロ四方もあったそうで、巨大な礎石に昔の面影を想像する。
 道の両側に小さな商店が立ち並ぶ。そんなところに、16番観音寺はあった。
 
 いよいよ、徳島市街が近くなってきたな、という予感を感じる。
 
 地元のおばちゃんや通しで野宿でがんばっている青年とおしゃべりなどしてゆっくりする。
 17番井戸寺。納経所で、16番観音寺の納経印がない、「修行が足らん!」と指摘される。もうガッカリ、足取り重く引き返す。
 今日の泊まりは徳島市街。テント張れるところがなかったら、ビジネスホテルでも仕方がないかと思っていた。
 2日ぶりに新町温泉(銭湯)に入る。しかもお接待で無料。感激!コインランドリーもある。そこから、5分ほど裏手に行くと、テント泊に絶好の公園。近くのレストランで、久しぶり、人並みの夕食。街の真ん中でテント泊とは、さすが四国やな、と一人感心しながら、ぐっすり寝る。(このときの写真を挿入するのを忘れました)
4月25日(6日目) 19km
18番恩山寺〜立江寺
泊 テント 櫛渕八幡神社駐車場 (立江寺から3kmぐらいのところ)


 朝一番、散歩していた80歳のおじいちゃんの激励を受け、軽やかに出発!
 
 2時間ほど歩いたところで、左足小指に靴擦れ、手当てをする。軽く思っていたが、小指の爪が圧迫されたもので、これから先、この靴擦れで苦労させられる。
 
 靴は、履きなれたもので、自身があるやつだっただけに、ショックである。そういえば、ほんのちょっと左小指を靴が圧迫していたのだ。
 
 17キロのリュックと5日間の歩きで、予想もしなかった靴擦れができてしまったのである。 歩き始めは痛いが、30分もすると痛さも慣れてくる。靴の買い替えはできないので、どうして小指を鍛えようか?考えながら歩く。

 柿の木の新緑がまぶしい!
 こいのぼりが元気欲泳いでいる。 
 
 もう、こんな遍路道を歩いていると、リュックの重さも靴擦れも忘れてしまう。
 19番立江寺。ここは、雰囲気のいい街中を抜けたところにあり、これまでの寺と違い、多くの街人とすれ違った。
 
 ベンチで休憩してると、おばちゃんからお接待いただく。うれしかった。

 おばちゃんの笑顔が忘れられない。
 立江寺は、お参りする人も多く、明るい雰囲気のお寺だが、ここには、遍路の間でも有名な、悪女お京「肉髪付の鐘の緒」という、怖〜い話があるそうです。
4月26日(7日目) 20km
18番鶴林寺〜大龍寺
泊 坂口屋(大龍寺ふもと)


 いよいよ、これから鶴林寺へ挑戦。民宿金子屋さんの前の消防所の前で休憩。ちょっとでもリュックを軽くと、シュラフ等を日干し。心も体も軽くなる。
 難所を前に、こいのぼりが激励してくれる。
 焼山寺の苦しさをを思い出す。だけど鶴林寺へは、1時間ちょっとで到着。だけど、まだ大龍寺が待っていると思うと、気が滅入る。
 鶴林寺では、目にしみるような楓の新緑と、石楠花が迎えてくれた。

 ここで昼食、だが、途中唯一あったコンビニで、「まだ先商店ぐらいあるだろう」と思って無視したのが間違いで、リュックの中でぺっしゃんこになった、菓子パンだけの昼食となる。

 昨日の野宿でも、缶ビールは確保できたものの、食料品店は閉まっていて、非常食のカップ焼きそばのみ。

 徳島以来、まともな食事なし。「ああ、ご飯が食べたい」
 大龍寺の登りを思うと、鶴林寺からの下りもあまり快適でない。
 ここから、また1時間40分ほどの遍路ころがし。
 リュックの重さが身にしみる。体力の無さを実感する。
 や、や、やっと到着。
 この場所は下り時に再度通るので、ここにリュックを置いて、もう少しの大龍寺へ上る。リュックがなければ体が浮いたようで、登りも平地の感覚だ。
 明日は、天気が大荒れということで、民宿坂口屋さんへ予約を入れる。
 民宿を考えていなかったので、現金の持ち合わせが無く、その旨伝えると、坂口屋さんの車使っていいよ、とホントに嬉しい返事。往復2時間以上はかかりそうな郵便局で引き出すことができた。
 久しぶりの豪華な夕食、選択、電池の充電、夕食時の楽しい会話・・・・・・、嵐のような雨の一夜も、坂口さんのおかげで、すばらしい一夜となった。
4月27日(8日目) 22km
22番平等寺
泊 テント 西由岐の港
 

 朝、遍路の皆さんは出発が早い。午前7時過ぎには皆さん出発していく。
 私は、というと、唯一の民宿泊まりということで、雨降っているのに急ぐことないや、ゆっくりと朝のニュースも見て8時ころ出発。
 途中、山道は川に変わっていて、迫力満点。
 一転、山道を出ると、雨もやみ、すばらしいロケーションの山里で、気持ちよく歩けた。
 
やっぱり、お風呂に入って、ふとんでぐっすり寝れたのか、体も心も晴ればれ。
 
 5日に一度は民宿が必要やな、と思う。それと、雨の日は、絶対民宿やな!と、軟弱な野宿遍路は思うのであります。
 お寺を中心に街がひろがっているように見える。
 平等寺には誰もおらず、ベンチで休憩していると、愛嬌のいいワンちゃんが相手をしてくれた。
 昼食にしようと思い、食堂を捜すが、寺の隣は定休日で、他にはありそうにもない。
 買い物袋をもつ女性に、食料品屋さんを聞くと、教えてくれる代わりに、せっかく買ってきた手巻き寿司をお接待していただく。
 それが、お接待するほうも、されるほうも、さも自然で、我ながら驚いた。ああ、これが”お接待文化”だなあ、と感じた。
 今日の野宿は、海の見えるところ、と決め、由岐の街に向かう。海岸に着くと、すぐに絶好のロケーションの野熟地が見つかる。
 近くの食料店で、お寿司のパックといわしの天ぷら、缶ビールを買い、ゆっくりと日が暮れていくのを見ながら夕食とした。
 朝、山風が嵐みたいに吹いたが、起きるころにはおさまっていた。
4月28日(9日目) 25km
23番薬王寺
泊 テント(国道脇の河原)

 ゆっくりと海岸線にそって歩いて、昼前大浜海岸に到着。ここは、バイクツーリングのとき何度か寄ったことがあるので、懐かしかった。
 ここにきて初めて、こんなとこまでよう歩けたなあと、実感がわいてきた。
 今回のくぎりうちでは、最後の23番薬王寺を打つ。
 なかなかようがんばったなあ、と一人感心する。
 まあ、これなら、日にちさえ確保すれば、宿に適当にお世話になりながら、野宿で八十八箇寺結願までいけるかも、とちょっぴり自信ができた。
 さあ、昼飯でも食べて、室戸めざしてがんばろう。
 
 途中大きい看板のドライブイン橋本で、バイキングの麦飯定食を注文。
 
 たしか、由岐でも、大衆食堂かなと入って、高級食堂ですぐ退散したところが、橋本食堂だったな?と思い出す。
 貧乏根性を大いに発揮して、お腹パンクするぐらいご馳走になる。
 このドライブインに、有名なバスの善根宿があるらしい、とは、帰ってから知りました。
 ぜひ拝見したかったなあ。
 国道沿いには、遍路休憩所が設置されていて、ありがたいものです。
 けっこう、歩いていれば、きっかけがないまま休みそびれてしまうので、本当に有難い施設です。
有名な”遍路ころがし”「1に焼山、2にお鶴、3に太龍」
 
 新遍路ころがしを聞かされる。
 「一にトンネル、二に車、三々なのは山の階段、四の五の言えばマムシがわらう」というのだそうだ。
 けっこう疲れて、5時ごろ通りがかりの商店で、缶ビールとカップうどん、それと、水を確保する。
 そうなれば、もう歩くのがいやになり、テント設営地を捜しながら歩くが、見つからない。 JR無人駅にも寄ったが、もうひとつ落ち着かない。
 国道筋の会社の横から川に下りる小道を発見。
 ちょっと荒れてはいるが、疲れた体には、最適地に見えてしまった。
4月29日(10日目) 25km
納経寺なし
泊 ”道の駅宍喰”前の海岸

 国道沿いをのんびり歩く。牟岐警察署の方から、女性が手招きしてくれる。
わざわざテントを張って、輪番でお接待してくれているのです。たった一人で悪いなーと、思っていると、一人、二人、三人と、お遍路さんが歩いてくるではありませんか。それも、若い子のソロ遍路。
まるで、国道に突然現れたオアシスみたいで、何か嬉しくなってくる。もう、何人のお遍路さんが、お接待に預かったのだろうか。元気をいっぱい頂きました。

 歩いていると、こんな東屋が良く見つかる。
 ここは、野宿にはどうかな?とつい習性で品定めしてしまう。 
 実は、この朝、キャンプ地から気持ちよく出発したのは良かったが、後ろポケットに入れていた財布がない!!!キャンプ地に戻って、おおさがし、ない!最後、可能性あるのは昨日の食料を買った峠の商店、1時間ほどかけて戻る。途中のお地蔵さんに思わずすがる。お店のおじさんが、ちゃんと保管しておいてくれていた。最後の最後で大失態。お地蔵さんに、みかんをひとつお供え、合掌。ありがとうございました。
 海南町に入り、中華食堂でリキをつけ、歩き始める。
 すると、おばあちゃんがニコニコと手を振ってくれる。「トマト食べていき!」
もう、こんなにおいしいトマト食べたことがない。
 今日は、あさ、昼と元気をいっぱいもらった。
 旅が好きで、いろいろ行ったが、こんなに、こころをあったかくしていただいたのは初めてのこと。
 野村カオリさん、いつまでもお元気で、忘れません!!
 海沿いに歩くようになる。ふと下を見ると、あっと驚くほど美しい。
 バイクや車での旅では、こんな発見はなかなかない。
 お遍路では、人も景色も、みんな優しく優しく見えてくる。
 こんなに歩くのが楽しい、とは初めての発見。
 最後のキャンプ。
 宍喰温泉の道の駅で、温泉にたっぷり浸かり、おいしい夕食を食べ、満足気分で熟睡。  夜中、外国人の若者たちが、歌をうたったり、話に弾んでいたりしていた。最近の日本の若者には無いような健全さが感じられ、うるさいというより、何か嬉しくなってきた。
 すばらしい朝日で目が覚める。
 ああ、このまま、通し打ちで行きたいなあ、と思う。


お遍路は
人生の深呼吸

深呼吸するとき大切なは
吸うことより吐くこと

からっぽにすれば

新鮮なものが
流れ込んでくる


 ここまできて、この言葉の意味が、少し分かってきたような気がする。
 宍喰温泉道の駅、最後の最後、すばらしい温泉、レストラン付の野宿地に感謝します。
4月30日(11日目) 6km
納経寺なし


 徳島からの電車は、ここ甲浦が終点。
 ここから室戸まで、鉄道はない。
 今回はここで区切りとする。 ここから、思い出に浸る間もなく、3時間弱で徳島到着してしまった。
 徳島から、2時間半後には、大阪のど真ん中,なんば。
 
 大阪の街では、いつもと変わらない、セカセカとよそよそしい空気があふれていました。
徳島県220Km
野宿 へんろたび

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